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横浜地方裁判所 昭和54年(レ)49号 判決

控訴人 毛利光子

右訴訟代理人弁護士 高荒敏明

右同 宮代洋一

被控訴人 佐野大治郎

右訴訟代理人弁護士 八木新治

主文

一  原判決中控訴人の敗訴部分を取消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  主位的請求

主位的請求についての請求原因及びこれに対する認否、同抗弁、控訴人の主張及びこれらに対する認否は原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。但し原判決四枚目裏三行目「昭和五三年一月」とあるのは「昭和五二年一月」の誤記につき訂正する。

二  予備的請求

1  請求原因

(一) 被控訴人は、昭和四四年一月五日控訴人に対し別紙物件目録記載の建物部分(以下、本件店舗という)を賃料一か月八万円、期間昭和四四年一月五日から同五二年一月四日までの八年間の約定で賃貸し、これを引渡した。

(二) 被控訴人は、昭和五四年五月二三日の原審における第一〇回口頭弁論期日において、控訴人に対し右賃貸借契約の解約を申入れた。

(三) 右解約申入れには次のような正当事由がある。

(1) 被控訴人は、本件店舗の隣の店舗において文房具商を営んでいるが、業績が向上し商品が増加したため右店舗が手狭となり日常生活を営む部屋をも在庫品の置場とせざるを得ない状態となり、被控訴人としては本件店舗をも自己の右営業の店舗として使用する必要にせまられている。

(2) 控訴人は、本件賃貸借契約を締結するに際し、被控訴人に対し、本件店舗において現在の営業(婦人服等販売)を営む意図であったにもかかわらず、これを隠し、「うなぎ屋」を営みたい旨虚偽の申し入れをして被控訴人を欺き、被控訴人をして本件店舗に「うなぎ屋」営業に必要な営業用ガス、水道管の設置をさせ、トイレの改装をさせながら、賃借後は本件店舗で婦人服等の販売をなすに至ったものであり、本件賃貸借契約はすでに締結時において当事者間の信頼関係を欠くものであった。

(3) 控訴人は、本件店舗の近隣に「志らぎく」と称する化粧品販売店を有している外、現に居住している東京都中央区月島一ノ二一ノ五の二階建建物の一階部分で開業している洋品類、化粧品類の販売店の営業にも関与しており、本件店舗における営業が控訴人の唯一の生計の途ではないこと、更に、控訴人は右月島の建物を共有している外、神奈川県相模原市相武台二ノ一五ノ五に建坪約一五坪の建物及びその敷地約五〇坪の土地を有しており、しかも、控訴人は独身であり、妹が三人いることから実母の扶養についても一人で負担すべき責任を負わない、身軽るな比較的恵まれた状態にあること、また、本件店舗の周辺にも貸店舗が点在していることからして、控訴人は本件店舗より右貸店舗に移り、そこで営業を続けることは容易であること等の事情を考え合わせれば、控訴人が本件店舗での営業に固執する理由は全く存しない。

(4) 被控訴人は、昭和五四年五月二三日の原審における第一〇回口頭弁論期日において、控訴人に対し、立退料として三〇〇万円又は裁判所が相当と認める金員を提供する旨陳述した。

(四) よって、被控訴人は控訴人に対し、賃貸借の終了に基づき金三〇〇万円又は裁判所が相当と認める金員と引換えに本件店舗の明渡を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)の事実のうち、控訴人、被控訴人間に本件店舗についての賃貸借契約が締結され、右賃貸借の賃料が一ヵ月八万円であることは認め、その余は否認する。

右賃貸借契約の締結日は昭和四四年一月一日であり、期間は同四四年一月五日から同五三年一月四日までの九年間であった。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)の事実について

(1) (1)のうち被控訴人が本件店舗の隣の店舗で文房具商を営んでいることは認め、その余は否認する。

(2) (2)は否認する。

(3) (3)のうち、控訴人が「志らぎく」と称する化粧品販売店を有していること、東京都中央区月島一ノ二一ノ五にある建物を共有していること、独身であることは認め、その余は否認する。

(4) (4)は認める。

3  控訴人の主張

(一) 控訴人は現在独身であり、メニエル病で自活能力のない実母を扶養し、本件店舗及び「志らぎく」を経営しその営業収益によって生計を維持しているものであるが、右「志らぎく」の営業収益は月額一〇万円程度に過ぎないのに比して、本件店舗の営業収益は月額二五、六万円程あり、また、立地条件からしても本件店舗がよりよく、被控訴人の営業の本拠となっており、しかも、右「志らぎく」は現に家主から明渡請求訴訟を提起され第一、二審とも本件店舗からの営業収益の存在などから、控訴人が敗訴していることを考え合わせれば、本件店舗を明渡すことは控訴人にとって死活にかかわる問題である。

(二) 控訴人は、昭和四四年から本件店舗で化粧品等の販売の営業をはじめたが、その立地条件が良いこともあって、現在では、固定客がつき営業収益も安定するに至っており、仮に、控訴人が本件店舗から移転すれば、右固定客を失うのみならず、控訴人の資産状態からして新たに立地条件その他で本件店舗と同等の貸店舗を探すことは極めて困難である。

(三) 被控訴人は、自己営業の文具店の店舗拡張のために、本件店舗が必要である旨主張しその明渡しを求めるものであるが、その真意は賃料の値上げ要求に応じなかった控訴人を追いだすためのものである。

4  控訴人の主張に対する認否

(一) 右主張(一)のうち、控訴人が独身であること及び控訴人が本件店舗及び「志らぎく」において営業をなしていることは認め、その余は否認する。

(二) 同(二)のうち、控訴人が昭和四四年から本件店舗で営業を開始したことは認め、その余は否認する。

(三) 同(三)は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  被控訴人は、控訴人に対し原審において、(一)主位的請求として無条件の本件店舗の明渡請求を、また、(二)予備的請求として、立退料の支払を条件とする本件店舗の明渡請求をし、これに対し原審では右主位的請求を棄却し、予備的請求を認容する旨の判決がなされたのに対し、控訴人(被告)から、本件控訴がなされたものであるが、被控訴人(原告)は棄却された主位的請求に対して控訴又は附帯控訴をしていないことは本件記録上明らかであるから、当裁判所としては主位的請求を判断する余地はないので、以下控訴のあった予備的請求について判断する。

二  予備的請求に対する判断

1  請求原因(一)の事実(本件店舗賃貸借契約の存在)のうち、被控訴人が控訴人に対し本件店舗を賃料一ヵ月八万円で賃貸したことは当事者間に争いがなく、また、《証拠省略》によれば、右賃貸借は、昭和四四年一月五日に締結され、期間は同五二年一月四日までの八年間であったことが認められ(る。)《証拠判断省略》

2  請求原因(二)の事実(被控訴人から控訴人に対する賃貸借契約の解約申入れ)は当事者間に争いがない。

3  そこで、被控訴人の控訴人に対する右解約申入れが正当事由を具備しているか、否かにつき検討する。

(一)  まず、被控訴人の本件店舗使用の必要性につき考えるに、《証拠省略》によれば、被控訴人は本件店舗を含む木造二階建店舗兼居宅(右建物内部の区分状態は別紙図面のとおりである。)を所有しており、そのうち、本件店舗の東側部分を使用して文房具商を営んでいること(もっとも、文房具商を営んでいる事実は当事者間に争いがない。)、右被控訴人使用の店舗内における陳列棚の配置状況は、別紙図面に記載されたとおりで、各棚の間が通路となっており、その通路の幅員は五〇ないし七〇センチメートルとってあり、その各棚には文房具類が隙間なく陳列され、右店舗内のトイレ入口及び一階にある六畳二間は在庫品でほぼ埋まった状態にあるが、他方、被控訴人は右建物内に他に一階に八畳間、また二階に三畳・六畳の二間を有し、これらを居間及び寝室として妻キクエと二人で使用しており、被控訴人夫妻の日常生活には格別にとりたてていうほどの不自由のないこと、また、被控訴人が現状規模の営業を維持する限りにおいては、多少の不自由はあるとしても、現に使用する店舗を本件店舗にまで拡張しなければならないという差迫った必要性は認められず、さらに、現在被控訴人において右営業規模を拡大しなければならない事情をも認められないこと、を各認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(二)  次に、控訴人の本件店舗使用の必要性につき考える。

(1) 控訴人が本件店舗の外に「志らぎく」との店名で化粧品店を経営していること、また、控訴人が東京都中央区月島一ノ二一ノ五所在の二階建建物につき共有権を有していることは、当事者間に争いがない。

ところで、《証拠省略》によれば、控訴人の収入は右「志らぎく」における営業収益よりも本件店舗における婦人服等販売による営業収益の方がはるかに多く、控訴人の経営する営業の本拠は本件店舗であること、右「志らぎく」は、被控訴人の本件店舗の解約申入れ当時、家主からの店舗明渡の請求を受け、神奈川簡易裁判所において係争中であったことが認められ右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、《証拠省略》によれば、右月島の建物一階部分の店舗は控訴人の義兄亀田学而が代表取締役となっている「有限会社志らぎく」が営業するものであり、控訴人はこれに関与せず、収益を得ていないことが認められ右認定を覆えすに足りる証拠はない。

これらの事実からすれば、本件店舗における営業収益が控訴人の主たる収入源であるということができる。

(2) 《証拠省略》によれば、控訴人は独身で(この点は当事者間に争いがない。)病身の実母を扶養していること、又、神奈川県相模原市相武台二丁目五〇六二番地二宅地一六五・二七平方メートルの土地は、控訴人の亡父と実母の共有であり、同地の上の建物は母の所有で、控訴人は右土地につき亡父の相続人としての共有持分を取得しているにすぎず、控訴人としては、本件店舗での営業収益により実母との生活を維持せざるを得ない立場にあることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3) 《証拠省略》によれば、控訴人は昭和四四年以来、本件店舗における営業に力を入れ、固定客の獲得に努め、これが功を奏して、順次、売上げが安定してきたこと、この営業成績には、本件店舗が東急東横線妙蓮寺駅から南西約二〇メートルの至近距離で商店街の一角にあることから営業にとって恵まれた立地条件にあることが極めて大きな要素となっていること、したがって、新たに同様な立地条件の店舗を借りるとすれば賃料、保証金ともに高額の負担を余儀なくされることが予想され、更には、控訴人は本件店舗における婦人服下着類販売の営業について大手業者の株式会社ワコールから同社製品の販売店の指定を受けているところ、新たな店舗においては、立地条件いかんによっては右指定が受けられなくなるおそれがあること、これらの事情からみて、控訴人が新たに本件店舗と同様な条件の店舗を他に求めることは極めて困難であることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(4) 右(1)ないし(3)の認定事実によると、控訴人が本件店舗を明け渡すことは控訴人の営業に影響を与えること極めて大で、ひいてはその死活にかかわる問題であり、控訴人には本件店舗を必要とする切実な事情があるといわざるを得ない。

(三)  なお、被控訴人は、本件解約申入の一事由として、控訴人が本件賃貸借契約を締結する際、本件店舗の使用目的について「うなぎ屋」を営業すると称して、借受け、実際は婦人服下着類の販売をはじめた旨主張するので考えるに、《証拠省略》によれば、被控訴人の右主張の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》しかし、《証拠省略》によれば、結局のところ、被控訴人は控訴人が本件店舗において婦人服下着類の販売を行うことを是認し、爾後本件解約申入れに至るまで異議を述べなかったことを認めることができるから、本件店舗賃借の際の事情が本件解約申入れの正当事由として特に考慮に値するものとは考えられない。

(四)  このような事情の下で、被控訴人は本件解約申入れの正当事由を補充するものとして立退料として三〇〇万円、又は裁判所が相当と認める金員の提供を申し出ているので(右事実は当事者間に争いがない。)この点につき考える。

本件のごとく家屋明渡請求訴訟における賃貸人からの立退料提供の申立が賃貸借を終了させる過程において賃貸人が果たすべき信義則上の義務の履行がなされたという意味合いにおいて、また、家屋明渡を余儀なくされた賃借人の経済的損失を補填するという意味合いにおいて解約の申入の正当事由を補充するものと解することができ、確かに、本件のように、営業用店舗の明渡については、あるていど立退料の提供で処理できる面はあるが、しかし、前判示のとおり本件店舗の必要性について、控訴人と被控訴人との間にはその度合において著しい差があり、被控訴人が申立てた三〇〇万円の立退料ではもちろんのこと原審が認定した五〇〇万円程度の立退料の提供によっては到底、右必要性の差を埋めるものではないから、被控訴人の右立退料提供の申出によって、本件解約申入れの正当事由が具備されるに至るものとは考えられない。

4  なお、《証拠省略》によれば、被控訴人は昭和五六年三月二三日神奈川簡易裁判所においてなされた和解により昭和六一年三月末日以降別紙図面中森田書店と記載された部分を有限会社妙蓮寺書房より明渡を受け使用することが可能となったことが認められ、また、《証拠省略》によれば前記2・(二)・(1)で述べた「志らぎく」の店舗明渡の訴訟(神奈川簡易裁判所昭和五一年(ハ)第七号事件)及びこれに対する控訴事件(横浜地方裁判所昭和五五年(レ)第五九号事件)は、いずれも控訴人敗訴の判決がなされ、現在控訴人は上告中ではあるが、控訴人としては「志らぎく」の店舗を明渡さなければならない可能性が極めて強く、しかも、その時期が迫っていることが認められ右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によると、本件口頭弁論終結時における、本件店舗使用の必要性については、益々控訴人の使用の必要性が増大しているのに、逆に、被控訴人の使用の必要性は減少するに至り、両者の本件店舗使用の必要性は格段の差を生じたといわざるを得ない、したがって、右時点において、被控訴人の前記立退料提供の申立を加味しても、被控訴人の右時点における解約申入れに正当事由が存するに至るものと判断する余地は全然存しない。

5  叙上の事実によると、被控訴人の昭和五四年五月二三日の本件解約申入れは勿論のこと、その後の本件口頭弁論終結時における解約申入れについても正当事由が存するとは認められない。

6  よって、被控訴人の本訴予備的請求は理由がないからこれを棄却すべく、これと結論を異にする原判決は不当であるからその取消を求める本件控訴は理由があり、民訴法三八六条を、訴訟費用の負担については、同法八九条九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口和男 裁判官 髙山浩平 野々上友之)

〈以下省略〉

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